66年から67年のサイケ期までのストーンズは、その後のストーンズ流ロックが見え隠れする。

1966年のヒット・シングル「19th Nervous Breakdown(19回目の神経衰弱)」
今までの曲とはちょっと違う。
凝っている。



前年には「As Tears Go By」をマリアンヌ・フェイスフルに提供するなど、この頃になるとストーンズは作曲に熱心に取り組み始めたのだ。
実はストーンズの2ndシングル「I Wanna Be Your Man」はビートルズから提供された曲。
もし優れたカバー・バンドとして満足していたら、その後の活躍は無かったかもしれない。
そして、曲作りについて色々なアドバイス(お金の事なども)をしたのはビートルズらしいが、もしそうならビートルズは単にヒットを飛ばすだけでなく、時代の流れにも大きな影響を与えていたのだなと思う次第。



1966年、ストーンズは全曲自作のアルバム「Aftermath」をリリースして、しかもヒットさせた。

この頃の代表曲でシングルヒットした「Paint It Black(黒く塗れ!)」
リフを奏でるのはシタールというインドの弦楽器。
66年、67年は、東洋の楽器や東洋思想を取り入れた曲、ドラッグを連想させる曲が一大ブームとなった。
ストーンズはビートルズらと共に、いち早くその流れを取り入れていったバンドだった。
アジテーションのような歌い方も印象的だ。


代表曲ではないと思うがサイケ・フォーク的な「Lady Jane」
65年、アメリカのバーズやボブ・ディランがフォークを取り入れたアメリカン・ロック(フォーク・ロック)でヒットを飛ばし注目を集めた。
これに対してストーンズやビートルズをはじめ多くのバンドもフォーク調の曲を作り、また歌詞は詩的な表現や社会的なメッセージを盛り込んだものとなった


  アルバム収録曲「Under My Thumb」。
ギターやベース、ドラムだけではなく、クラシックや民族的な楽器を使い曲にバラエティを与えていった。



続くアルバム「Between the Buttons」も自作路線だった。

アメリカでシングルヒットした「Mother's Little Helper」


「Let's Spend the Night Together」


代表曲「Ruby Tuesday」@1967年
 

代表曲ではないがノリノリの「Miss Amanda Jones」
のちのストーンズを思わせる。



1967年、問題作といわれるサイケ・アルバム「Their Satanic Majesties Request」がリリースされた。
シングルの「She's a Rainbow」。
当時最新鋭の楽器メロトロンを使用している。
売れっ子セッションマンのニッキー・ホプキンズがピアノ、弦楽器のアレンジはジョン・ポール・ジョーンズ(後のレッド・ウェッペリンのメンバー)が担当するなど、外部ミュージシャンを起用。
曲の幅を広げようと、他のバンドも同じ傾向があった。


「2000 Light Years from Home」


アルバムはヒットしたものの酷評され、このアルバムからのシングルも不発。
個人的には好きだが、好き嫌いが分かれるのかも。


1968年のヒット・シングル「Jumpin' Jack Flash」は、新しいストーンの船出ともいえるサイケ色を取っ払ったものだった。
わざとなのか分からないが、リフは自作曲の黄金時代の幕開けを飾った「Satisfaction」とそっくり。



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